職員紹介
【職員インタビュー】調査研究推進部 分析官:中村紘子
「データを安易に単純化しない」―認知心理学の知見で支える「生きることの包括的な支援」
![]()
〈プロフィール〉
中村 紘子(なかむら・ひろこ)
愛知県出身。2006年、名古屋大学大学院環境学研究科修了。博士(心理学)。専門は認知心理学。主に思考や論理的推論、意思決定のメカニズム、エピソード記憶などの研究に従事し、近年は陰謀論や疑似科学がどのように受け入れられるのかという心的メカニズムについての研究も行う。大妻女子大学助手、愛知淑徳大学助教、日本学術振興会特別研究員(RPD)などを経て、2025年4月よりJSCPに分析官として入職。
──中村さんの業務について、教えてください。
中村)調査研究推進部の分析官として、主に警察庁の自殺統計原票データ等の集計と、それを用いた分析業務を担当しています。主な業務は大きく分けて3つあります。
1つ目は、地方自治体に提供するデータの集計です。代表的なものとして「地域自殺実態プロファイル」があります。これは自殺総合対策大綱に基づき全国の自治体に毎年提供しているもので、自治体ごとに過去5年間の自殺の状況(属性別の自殺者数など)をまとめた基礎資料です。自治体の自殺対策担当者が地域の状況や特徴を把握したうえで、地域自殺対策計画の策定や施策の検討に活用し、全庁的な取り組みとして地域自殺対策を推進するために役立ててもらうことが目的です。
2つ目は、自殺報道に関連する分析です。自殺に関するメディアの報道の後に自殺者数が増加する現象(ウェルテル効果)の検証のほか、新聞記事データベースを用いて報道内容の変化を調べたり、SNSデータを活用して受け手や社会の反応を分析したりしています。こうした分析結果は、JSCPが主催するメディア関係者向けの「自殺報道のあり方を考える勉強会」を通して、メディア関係者と共有しています。
3つ目は、妊産婦の自殺に関する分析です。2022年に自殺統計原票が見直され、妊娠中あるいは産後の状況がデータとして把握できるようになりました。日本産婦人科医会と協力しながら、妊産婦の自殺者数や原因・動機などに関するデータを分析しています。
これらの分析・研究結果を基に学術論文を執筆・発表する作業も、並行して行っています。
──JSCPで働く前は、どんなことをしていましたか?
中村)大学院修了後は、大学や研究機関で、研究や学生の指導に携わってきました。
専門は認知心理学で、主に人間の思考や推論、意思決定のメカニズムを研究してきました。出発点は「人間はなぜ、一見論理的ではない考えや信念を持ってしまうのか」「なぜ確率のルールから外れた判断をしてしまうのか」という問いです。
人間には、経験則や直感に基づいて素早く判断する「ヒューリスティック」と呼ばれる思考の特性があります。ヒューリスティックは効率的な判断に役立つ一方、状況によっては認知バイアス(判断や思考の偏り)を生み出します。
10年ほど前からは、海外での研究の広がりをきっかけに、フェイクニュースやデマ、陰謀論や疑似科学がどのように受け入れられるのかという心的メカニズムの研究もしています。
![]()
──自殺対策に関わるきっかけは?
中村)こうした研究を進める中で、自分の培ってきた知見を、実社会やより現場に近い実践的な分野で生かせないだろうかと考え始めたことがきっかけです。
これまでは、論文執筆や学会発表などを通じて、主に研究者コミュニティの中で成果を共有してきました。その経験は非常に意義深いものですが、私自身のこれまでの研究活動では、自治体やメディアなど、研究成果を実際に活用する方々と直接協働する機会は多くありませんでした。そのため、扱っているテーマ自体は社会的であっても、社会課題の現場を少し遠く感じていました。
また以前から、SNSでの情報拡散やメディア報道と自殺者数の関連にも関心を持っていました。自治体やメディアなどと協働しながら、自分の専門知見を役立てたいという思いが強まり、JSCPの求人に応募しました。
──認知心理学の知見は、自殺対策のデータ分析にどう生かされているのでしょうか?
中村)JSCPで働いてみると、非常に多様なバックグラウンドを持つ職員が協働しており、とても刺激的だと感じました。研究者同士であれば論文の記述形式や研究上の共通言語を通じてデータの意味を共有しやすい面があります。一方、ここでは自治体職員やメディア関係者など、さまざまな立場の方にデータを伝える機会があり、伝える相手によって求められるデータや見せ方が異なります。「データをどう表現すれば、分かりやすく正確に伝わり、自殺対策に活用しやすいものになるのか」を常に意識するようになりました。
認知心理学を研究してきた経験から、「人は時に、情報を送り手の意図とは異なる形で受け取ってしまうことがある」と実感しています。例えば、特定の経済指標と自殺者数に統計的な関連が見られたとしても、それだけでは両者の因果関係が明らかになったとはいえません。こうした結果を十分な説明を添えずに提示してしまうと、「その指標さえ改善すれば問題が解決する」と単純に受け取られるリスクがあります。
自殺対策基本法では「生きることの包括的な支援」を基本理念に掲げています。データ分析を進めるなかでも、自殺の背景には複数の要因が複雑に絡み合っており、単純な一般化はできないことを改めて認識します。データを分かりやすく伝えることは大切です。しかし、単純化しすぎれば、インパクトのあるデータが独り歩きし本来の分析結果を超えた解釈につながるリスクもあります。そのため、データを丁寧に読み解き慎重に伝えることを常に心がけています。
──今後取り組みたいことや、自殺対策への思いを聞かせてください。
中村)現在担っているどの分析も大切なテーマですが、妊産婦の自殺に関する分析は、個人的な経験と重なる部分もあり特に強い関心があります。自殺統計原票での妊産婦の自殺に関するデータ収集は2022年に始まったばかりですが、今後データの蓄積が進む中で、年齢層や自殺統計原票に記録された原因・動機などについてどのような傾向がみられるのかを捉え、日本産婦人科医会等と連携しながら具体的な対策へつなげていきたいと考えています。
私自身、2020年のコロナ禍に出産を経験しました。当時は入院中の面会制限や、児童館など地域の支援施設の利用制限などが重なり、妊娠・出産という大きな出来事の中で強い孤立感を抱いた経験があります。妊娠・出産はおめでたいこととされる一方で、困難を抱えやすい時期だと感じました。当事者が抱える困難にデータを通して光を当てていきたいです。
自殺に関するデータに向き合っていると、データの背景には一人ひとりが追い込まれていったさまざまな状況があることを、常に意識させられます。そして、分析に当たるたびに「自殺で亡くなる方を一人でも減らすために、分析官として何ができるのか」と自問しています。
分析から得られた知見を、自治体や報道関係者、医療関係者などと共有することで、自殺のリスクを減らすための対策や支援の検討に少しでも貢献していきたいです。
──これからJSCPで働くことを考えている人に、伝えたいことは?
中村)JSCPでの分析官の業務は、分析や研究だけにとどまりません。多様なステークホルダーと関わる実践的な広がりもあり、そこにやりがいを感じています。
幅広く多様であるがゆえに、これまでの研究分野で培ってきた専門性が生かせないかというと、決してそんなことはありません。自殺にはさまざまな要因が関わり、自殺対策のアプローチも多岐にわたります。さまざまな専門性について、培ってきた研究的知見を生かせる場面があると思います。私自身も、「人間が情報をどう受け取るか」という認知心理学の知見が、データの見せ方や誤解の生じにくい情報発信を考える上で生きていると感じています。
また、JSCPではチーム内の他の分析官と協働しながら、自身の統計分析やデータ活用の知見を深められる環境があります。私自身、これまで統計分析そのものを専門としてきたわけではありませんが、日々の業務を通じて分析の幅を広げることができています。
■ 職員インタビューのバックナンバーは、こちら






