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2023年11月27日【JSCP対談企画】 文化人類学者・上田紀行 × 自殺対策実務家・清水康之
 自殺・いじめ問題の根っこにあるもの

_TY_2712_レタッチ済み.JPG上田紀行さん(左)と清水康之(右)

子どもや若者の自殺は近年増加傾向にあり、令和4年の小中高生の自殺者数は過去最多の514人となるなど深刻な状況だ。若い世代が「生きられない」社会――。問題の「根っこ」には何があるのか? 解決のために必要なこととは? そして、少しでも明日が「生きやすくなる」ためのヒントとは? 文化人類学者で東京工業大学「いじめゼロ!プロジェクト」代表を務める上田紀行東工大副学長と、一般社団法人「いのち支える自殺対策推進センター(JSCP)」の清水康之代表理事が語り合った。

二人は2010年に自殺問題をテーマに対談し、その内容は「『自殺社会』から『生き心地の良い社会』へ」 (講談社文庫)にまとめられている。今回は、それから13年ぶりの対談となった。


清水

私は元NHKの報道ディレクターだが、ディレクターになる直前の1997年1月に上田さんが出演された「未来潮流 『癒し』のゆくえ」というNHKの番組を観てすごく刺激を受けた。当時の生きづらさと処方箋について考える番組で、「私たちはどう生きればよいか」を大所高所から論じるのではなく、社会的な問題でありながら自分自身の問題であることにどう向き合うか、上田さんがロールモデルとして示してくれているように感じた。

一人一人が「幸せになりたい」って思っているのに、社会を形成するとみんなが生きづらくなってしまうのはなぜか。どこでねじれが生じているのか。そういうことに関心があったので、「こういう番組が作りたい」と思った。

私がNHKを辞めて自殺対策のNPO法人「自殺対策支援センターライフリンク」を立ち上げたのが2004年だった。上田さんの著書「生きる意味」が2005年に出版され、当時の社会状況について「経済的な不況よりも『生きる意味の不況』が深刻」と書かれていて、すごく腑に落ちた。

今、子ども・若者の自殺が過去最多という深刻な状況にある。「生きる意味」の時代から何が変わって何が変わっていないのか、改めて上田さんがどう感じておられるのか、ぜひお聞きしたい。

「大きな物語」から、個の「生きる意味」が問われる時代へ

上田

「生きる意味」を書いた2005年以前の日本には、経済成長していくことでみんなが豊かになるという大きな物語があって、みんなが同じものを欲しがる状況が長く続いた時代だった。その中では、一人一人が「個」というものの意味をあまり考えなくてもよかった。ただ、経済的には成功したが、私たちが「自分の生きる意味って何?」「何を欲求しながら生きるの?」という感性を非常に鈍麻させた数十年ではなかったかと思う。

それが、バブルの崩壊で崩れた。1990年代後半あたりから大企業がどんどん潰れ出し、リストラが始まった。「いい大学に行って、いい会社に入って、定年まで勤め上げ、あとは年金で悠々自適」という旧来の「生きる意味」で生きてきた人にとっては、生きる意味を持つのが難しくなってしまった。

そして、経済も発展しない中で「じゃあ何を目指せばいいの?」という時に、本来であれば私たちは、一人一人の生きる意味の個性化・多様化が進むよう、「社会がどうあろうと私はこう生きていく」といえる力を育むべきだった。しかし、必ずしもそれができていないのが現状だと思う。

※注)2万人台前半で推移してきた日本の自殺者数は、1998年に前年比8000人近く増加し、初めて3万人を超えた。増加分の多くは中高年の男性が占め、自殺者が3万人を超える状況は2011年まで続いた。


自殺者数の年次推移.png出典:厚生労働省ホームページ

清水

経済的な「意味」では、どのような変化があったか?

上田

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みんなで一緒に右肩上がりを目指した時代から、「儲けるチャンスはみんなに平等に与えられている。できるだけ儲かる仕事に就き、ちょっとでも利益が出れば金融商品を購入してどんどん増やしていきましょう」という新自由主義に変わった。

一見、みんなが横並びだった前のフェーズからは大きく違う。でも、結局は「お金を増やすのが、あなたの生きる意味ですよ」「あなたの価値は、いくら儲けるかで決まりますよ」という風に、お金と「私」の関係はより強化されたように見える。
なおかつ、横並びでうまくいっていた時代にあった「誰も落ちこぼれないように」という感覚が失われ底が抜けた状態で、落ちていく人は「自己責任」ということになっていった。

一部にはそうした変化にうまく対応し成功している人もいるが、うまくいっていない人が大半に見える。「生きる意味」においては、そうしたごりごりの新自由主義から一歩距離を取れる人はいいが、距離が取れない人は相当厳しい状況になっていったのではないか。

若者の変化

清水

近年、若者の自殺が深刻だ。上田さんが東工大に来られてから今に至るまでの間で、若者たちの変化として感じることはあるか?

<小・中・高生の自殺者数の推移>

児童・制度の自殺 年次推移.png出典:厚生労働省ホームページ

上田

東工大に来て28年経つが、評価を気にする学生が非常に増えた。今、すべてのものが評価される時代になってきていて、それだけ評価が厳しくなっているということ。授業でレポートの課題を出すと、手を挙げて「レポートの評価軸はどこですか?」と聞く学生がいる。「どうやったらいい点数をとれますか?」と聞いているようなものだから、昔だったら恥ずかしくて聞けなかったようなこと。それで、評価軸を示せば、みんな似たようなレポートを提出してくる。

「不本意入学」というのを知っているか? 大学は学部ごとに偏差値が異なるが、自分の興味がある学部の偏差値が高くて合格が難しい場合でも、それでも東工大に入りたいので、他の学部に入学してしまう。こうして自分の興味と合わない学部に入学した人は、モチベーションが持てずにつらい思いをすることが少なくない。反対に、自分の偏差値が高いからもったいないと、本当に好きでない分野の学部に入った学生もつらいことになる。

「あなたの評価は、他者からの評価によって決まる」「他者が欲しがるけれどなかなか手に入らないものを手にした人が一番偉い」。こうした考えが新自由主義の導入からますます強まり、「他人から何を言われようが、これをやるときの自分が一番輝いている」と言い切れない。

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清水

そうした結果として、他者が欲しくても手にできないものを手にできる人は一握り。多様性が失われた結果、活力も失われ、手にできなかった大多数の人の自己有用感や肯定感も低下する。そういう悪循環を、抜け出せないものか。

多様性を尊重すればこそ経済的な活力が生まれてくると強く実感したことがある。「幸福度」と「生産性」を両立させている国のひとつ、デンマークを4年前に訪ねたときのことだ。
デンマークはOECD諸国の中で幸福度が常に上位であると同時に、生産性も高い。なぜそれらを両立できるのかを知りたくて、現地の自殺対策に取り組む団体のコーディネートで、ある小学校を案内してもらった。

教室に入って驚いたのは、子どもたちの座席の配置だった。日本では、黒板と教壇に向かい合う形で子どもたちが列になって並んでいる。デンマークの教室は全然違った。教壇らしき机はあるものの、子どもたちの座席は壁に向かって配置されたもの、グループでテーブルを囲むもの、横並びの席に衝立があり隣が見えないようになっているもの、ソファなど、実に様々だった。学校の説明では、最も集中力を発揮できる環境は子ども一人一人で違うので、その子に合った環境を教室の中で実現しているという。しかも、どういう環境ならば最もパフォーマンスを発揮できるかを、子ども自身に選ばせるのがポイントだと言う。

もう一つの特徴は、学校では宿題をほとんど出さないこと。その代わり、地域でいろいろな職業の人に話を聞いたり、自然に触れたりする体験の機会を多く設けている。「子どもは、自分がやりたいことや知りたいことを見つけると、大人が止めても一生懸命やる。だからモチベーションを持てるような機会を作ってあげることが大切だ」と先生は言っていた。

モチベーションを持てる機会を提供した上で、子どもが最もパフォーマンスを発揮できる環境を整えれば、おのずと成長し良い結果が出る。生産性と幸福度はコインの裏表であって、どちらか一つではなく、両方やってこそ実現できるものだという。

上田

清水さんが言うように、一人一人の個性を大切にする、あるいは自分が一番やりたいことをやっている時が最も生産性も上がるんだ、という考え方が日本ではあまりない。日本ではある種、キリギリス的なものをたたくアリさん集団、というようなところがある。でも、本当は自分がやりたいことをやっている時が一番わくわくするし、生産性も上がっていくはず。そしてもちろんのこと、創造性も。他人からの評価ばかり気にしている集団からは、時代を切りひらくイノベーションは決して生まれない。

清水

日本がデンマークの話とは真逆のようになってしまう要因の一つは、やはり社会保障の問題が大きいのではないかと思う。つまり、「いわゆる良い高校に行って、いわゆる良い大学に行って、いわゆる一流企業に就職しなくても、決して食いっぱぐれることはありませんよ」という風に社会保障がしっかりしていれば、「それじゃあ、自分がやりたいことをやった方がいいんじゃないか」と、いろいろなチャレンジができる余地が生まれてくると思う。
意識が制度を作るのではなく、制度が意識を作るのではないかということを、最近特に感じる。

上田

確かにそう。多くの人はどうやったら成功するかというサクセスストーリーを求めがちだ。しかし、今はそれよりも、立て直す力の方が重要だ。人生では何回も挫折するし、不況にも陥るし、想定外のことも起きる。
立て直す力を持っている人は、幼少期から立て直している人を見ている人だ。

一番苦しい人を支えていくような社会の力を見て育ってきた人は、その後の人生がすごく楽になるし、チャレンジできる。でも、今の若者はそういう姿を見たことがないから、「失敗したら社会から見捨てられる」と思っている子が多く、チャレンジしなくなっている。

以前は「支える力」はただだと思われていたけれど、今は支える力にもコストをかけねばならない時代だ。支えることのネットワークを拡充していくことが次世代のためにもなっていくことを、特に年長者が考えなければいけない。やはり、下の世代に残すべきは「支えていく力」。僕らがそのチャレンジの面倒を見るから、どんどんチャレンジしてねってことじゃないかと思う。

東工大が「いじめゼロ」に取り組む理由

清水

上田さんは今年から、東工大の「いじめゼロ!プロジェクト 文理共創でいじめを根絶する」のプロジェクト代表を務められている。今改めて、「いじめ」をテーマにしたのはなぜか。

上田

人間の中には暴力性があるが、一方で利他性や、慈悲の心もある。そうした両面性を持つ人間の、人をいじめたりするような部分ばかりを過剰に表出させる社会は、どう考えても幸せじゃない。
自分が「排除されたくない」「いじめられたくない」と小さい頃から思っているので、同調圧力や忖度力ばかり磨き上げられてしまっていて、自分が本当にやりたいことや言いたいことが言えない。そうした、日本社会の中にある「人間を自由にしないシステム」の根本には、やはり「いじめられたくない」というのが根強くあると思っている。

いじめ問題は人文社会科学、特に教育学などで研究されてきたが、科学技術を導入することによってどうにかならないかと考えた。例えばいじめの検知とか、傍観者が援助者になるのを促進するような技術だったり。被害者はもちろん、傍観して何もできなかった子の学習的な無力感もすごくて、日本社会はいじめにより相当なコストを支払っている。だから、文系の知に加えて科学技術を集結していくことで、より良き未来を残していきたいと思っている。

清水

上田さんがいじめ問題に取り組むと知った時、驚きと納得感があった。実務的な意味でのいじめ対策というだけでなく、科学技術のあり方とか、社会が生きづらさや社会的に虐げられた人たちにどう向き合うかとか。東工大の副学長である上田さんがリーダーシップを発揮していじめ問題に取り組んでいくことは、社会に対してすごく大きなメッセージになると感じている。

上田

今の国の政策としても、科学技術で経済を立て直そうという掛け声で、科学技術振興が進められ、科学技術は「強者」を目指すといったイメージが強い。けれど、科学技術と慈悲の心というか、宮沢賢治的な科学技術というか、千手観音としての科学技術というか……。これだけいろいろな科学技術があるのだから、千手観音みたいに悩める人、苦しむ人を救いまくるような科学技術はあり得ないのだろうかと。そんな思いもある。そしていじめがなくなり、同調圧力に屈する若者が少なくなり、他人からの評価よりも自分自身の創造性をのびのびと活かせる若者が増えたほうが、イノベーションも進展し、結局は経済にもつながっていく。

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生きる意味の不況、いじめ、自殺、生産性……実は根っこで繋がっている

清水

生きる意味の不況とか、経済的な不況とか、いじめ問題、自殺問題と社会の生産性とか……。かつては全く別物として扱われてきたものが、実は根っこで繋がっているという感覚が、最近ようやく共有され始めたように感じている。

「生きる」こと云々……などと言うと、「またおセンチなこと言って。経済成長、景気回復が最優先事項だ」と一蹴されかねない空気がこれまではあった。しかし、「経済成長していくには、『生きる意味』の不況も解決していかないと」という共通の認識を、経済界も含めてそろそろ持てないか。

上田

社会の豊かさと、人を大切にすることが、ある時期から相反するように言われるようになった。新自由主義的に「お金をどんどん儲けましょう」となると、社会保障でも「努力しない奴や落ちこぼれていく奴を、何で助けなくてはいけないんだ」という議論にすぐに陥り、二律背反的になってしまう。先ほどのデンマークの話のように、日本はなぜ生産性が低くイノベーションが起きないのかということの根っこを掘っていくと、やはり「人間が自由でないこと」に突き当たる。新自由主義は「支えを外した自由主義」だが、ちゃんと支えが用意されているからこそ、人はチャレンジできるし、生産性も上がり、イノベーションも起きてくる。そこを忘れてはいけない。

清水

経済界や政治の世界にもっと、自殺やいじめの問題の根深さ、あるいはその対策が持つ可能性が共有されていくと、問題解決のスピードも速くなるのではないか。結果として、問題が解決すると同時に社会の活力を取り戻す方向に行く。こうした転換のチャンスは、かつてよりも見えてきているように感じている。 

生きるのがつらい方へ 少しでも「生きやすくなる」ためのヒント

上田

人から「これがベストだ」「こうやったら君は評価されるよ」と言われた時に、少し頭のねじを緩め、それに過剰適応しない方がいい。自分の中に、合理的で整理整頓されたものだけでなく、何か「変」なものを持つことが大切で、それはあなたを助けてくれるはず。学校の先生が雑談の中で話した変なことが意外と記憶に残ったり、海外に行って感じる「なんか変じゃない?」という感覚とか、そういう違和感みたいなものをそのまま持ち続けることが大切だと思う。
世界はもっと広いし、もっとノイジーなんだ。

清水

若い頃は自分の人生がずっと続くような錯覚に陥りがちだが、自分や自分の大切な人の人生もどこかで必ず終わりがくる。つまり、誰もが余命を生きている。限られた時間の中で、「それでもこれを選ぶ」のか、「それなら別のものを選ぶ」のか。私たちは常に選択を迫られている。今を輝かせたり、今をより自分の実感として引き寄せたりするための工夫として、限られた時間を生きているという感覚を時々思い出すことを試してみるのも一つの方法だ。

上田

もう一つ伝えたいのは、「悩みがあったら、周りの人に話そう」ということ。無視する人もいるけれど、聞いてくれる人もいる。自分が苦しい話をしたら相手にとって迷惑だろう…そう感じる若者が非常に多い。ユーチューバーみたいに、「人を楽しませてなんぼでしょ?」と考えている人が結構いる。

確かに、人に迷惑をかけないこと、電車で足を開いて座らないこと、公共の場でごみを捨てないことなどは、ある種日本人の美徳だ。でも、あなたの命やあなたの苦しみは、ごみと一緒では絶対にない。人から相談された時、相談された人の自己肯定感は、実は上がることが多い。だから、相談するのは実は利他的な行為だと思って、相談してみよう。

清水

相談を受けた人にとっても、「自分も相談していいんだ」という気持ちになれるのはよいこと。周囲の人でなくても、相談窓口に連絡するのだっていい。

(了)

 

■略歴

上田紀行(うえだ・のりゆき)

1958年、東京生まれ。文化人類学者。86年からスリランカで「悪魔祓い」のフィールドワークを行い、その後「癒やし」の観点を最も早くから提示した。東工大学内では、学生による授業評価が全学1200人の教員中第1位となり、2004年に「東工大教育賞・最優秀賞」(ベスト・ティーチャー・アワード)を学長より授与された。22年より、東工大副学長(文理共創戦略担当)。「がんばれ仏教!」「生きる意味」「愛する意味」「立て直す力」など著書多数。

清水康之(しみず・やすゆき

1972年、東京生まれ。1997年、NHKに報道ディレクターとして入局。自死遺児たちを1年がかりで取材し、「お父さん、死なないで ~親が自殺 遺された子どもたち~」(クローズアップ現代)を放送。2004年にNHKを退局し、NPO法人「自殺対策支援センターライフリンク」を設立。「自殺対策基本法」成立の原動力にもなった。2019年、一般社団法人いのち支える自殺対策推進センターを設立。

【JSCP対談・インタビュー企画】近年、特に若者や女性の自殺が深刻化しています。JSCPでは、今の時代の自殺問題の背景にある生きづらさの核心に迫り、少しでも生きやすくなるためのヒントを探る対談やインタビューを、随時配信しています。対談は、JSCP代表理事の清水康之が、各分野で社会課題に向き合うゲストをお迎えし、「社会を映し出す鏡」である自殺問題を様々な角度から掘り下げていきます。

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